【連載第8回/2018.04】東京大学 藤本教授エッセイ 「インシデンタルな(偶発的な)ニュース消費」の時代

東京大学大学院 経済学研究科 教授 
東京大学ものづくり経営研究センター センター長

藤本 隆宏

*レイヤーズ・コンサルティング「ものづくり賢人倶楽部」ファシリテーター

ソーシャルネットワークの世界における「インシデンタルな(偶発的な)ニュースの消費」について改めて考えてみましょう。ハーバードで聴いた、Boczkouwskiノースウェスタン大教授の話の続きです。

インシデンタルなニュース商品は、以下の3つ、すなわちハード、ソフト、コンテンツの三つを構成要素としています。ソフトはフェイスブックなどのプラットフォーム、コンテンツはニュースなどです。そして、現代におけるニュースの消費者は、いわばメディアの中に住んでいる、あるいは情報に取り囲まれて生活しているわけです。そうした中で、ニュースの消費は、前述のように、広さが深さよりも重要になっています。つまり、ニュース消費者の多くは「ヘッドライン」だけを読む人々なのです。

こういった世の中の変化もあり、メディアにおける購読料と広告料の比率は、いまや逆転しています。すなわち、新聞やテレビなどの既存メディアの広告料はどんどん減っており、彼らの利益率は低迷しています。これに対して、例えばアルファベット(グーグル)やフェイスブックの利益率は急上昇しています。

一方、消費する側の特徴を見ると、ソーシャルメディアを通じたニュースの消費者は、一般的傾向として、カジュアルであり(格式張らず)、ノンシャランであり(こだわりが少なく)、ディタッチトである(さめていて物事から距離を置いている)傾向があります。前述のように、既存メディアによる、トップ記事を頂点とするニュースの階層性はすでに崩壊しており、その再文脈化(recontextualization)が起こっています。

かくして、20世紀のメディアであった新聞やテレビなどの既存メディアにおけるニュース消費と比べると、ソーシャルメディアのニュース消費のパターンは、連続性よりは非連続性の方が大きいようです。

すなわち、20世紀のメディアの消費は、第一に、生活の中でのニュース消費は、いわばルーチン的でした。例えば朝、お父さんが決まった時間に同じテーブルで新聞を15分読むなどがこれに当たります。第二に、髭をそりながらラジオを聞き、テーブルで新聞を読み、茶の間でテレビを見るなど、どこでどのメディアを使ってニュースを消費するかが生活の中でパターン化されている傾向がありました。第3に、ニュースを消費すると言う事は、社交性と関連していました。お付き合いの会話についていくために、ニュースを知っている必要があったわけです。

これに対して21世紀のソーシャルメディアによるニュース消費は、バラバラで、パターン化されておらず、複雑です。時間が空いたら10秒間単位で、細切れにフェイスブックやツイッターを見るということであり、たとえば列車が途中で到着すれば、そこでいったんニュース消費は中断するわけです。

このようにニュース商品が断片化する時、高い質のジャーナリズムを目指していたジャーナリズム学校は危機に陥るかもしれません。ソーシャルメディアの時代、ニュースのヘッドラインは、訓練されたジャーナリストでなくても作れるのですから。

とはいえ、デジタル情報革命により、ジャーナリズムの中味も変わってくる。ジャーナリストとして世の中を変えたいと考える人たちは今も少なくない。しかし、そういう上級のメディアの読者数は、少なくともアメリカでは確実に減り続けているのです

今アメリカでは、自然言語分析や人工知能アルゴリズムなどを使って、スポーツやファイナンシャルのニュースを自動作成する試みもありうる。AIが記事を作ると言うことである。こうなると、ジャーナリスト学校も、上位校は良いが、下位の学校は危機に陥ることになるでしょう。

ソーシャルメディアを通じてニュースが消費される時代には、お金は、プラットフォームやサーチエンジンに集中する傾向があります。これに対して新聞など既存メディアの広告収入は確実に減りつつあるわけです。

既存のメディアも、既存の自動車産業も、このように10秒単位で「偶発的な情報消費」が行われていく時代に、テレビの画面や自動車のモニター画面、あるいは紙面をどのように変えていけば生き残れるのか、正面から考えていかなければならない局面と言えましょう。

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