2018/6/8

【連載第9回/2018.06】東京大学 藤本教授エッセイ「あるDEC社員の仕事遍歴」

#トピックス

東京大学大学院 経済学研究科 教授
東京大学ものづくり経営研究センター センター長

藤本 隆宏

*レイヤーズ・コンサルティング「ものづくり賢人倶楽部」ファシリテーター

昨年の米国独立記念日、7月4日はボストン滞在中だったので、三十年来の友人であるK氏夫妻に招待されて泊りがけでバーベキューパーティに行きました。池と森に面した家で楽しく過ごしましたが、実は60歳代前半のMr. Aはその前の週末に、勤めていた会社に解雇されたばかりでした。しばらくは失業保険もあるし、Mrs. Aは働いているし資産もあるし子供ももうすぐ大学卒業なので、あまり深刻な様子はなかったですが、深夜、夫妻と3人になった時にその話になりました。アメリカの企業社会の縮図のような話なので、以下、概略をお話ししましょう。

かつてのボストンのハイテク産業を代表する企業に、デジタル・エクイップメント(DEC)があります。擦り合わせ型アーキテクチャにかなり近いコンピュータ、すなわちミニコンのトップ企業です。昔、私が三菱総研に勤めていた時、社内の有力部門では小回りの利くDECのミニコン「VAX」が大活用していました。1980年代前半のことです。DECの看板製品です。

社風は日本の一部の優良製造企業、成長期のホンダなどと似ているかなという印象です。チームワークや団結力を持ち味とし、言いたいことを言い、互いに試作品を散々にけなした挙句に、最後はまとまっていくという、個人的には私の好みの会社でした。伝説のケン・オルセン社長が長年率い、このころのベストセラー『エクセレント・カンパニー』でも紹介されています。

Mr. Aは、いくつかの仕事を経験したあと、このDECに1984年頃に就職しました。ハイテク製品の取扱説明書などを作成するテクニカルライターの仕事です。DEC本拠のマサチューセッツで育った多才なMr. Aにとっては、とても良い仕事だった。

しかし、稀代の大社長オルセンも、パソコンの評価を誤った。後にIBMも陥った「アーキテクチャ戦略」の判断ミスです。ミニコンであるVAXの端末があればパソコンはいらないと彼は言い、私の知る元DECの古参の一人はいまだにパソコンを「ゲーツの作ったガラクタ」と言って憚らない。社長も技術者も、インテグラルなものを皆で作るのが好きで、寄せ集め設計(オープン型)の設計思想は嫌いだったわけである。ここから先のDEC凋落の話はいろいろあるので他に譲ります。

結局、かつて10万人以上を雇用したDECは凋落し、1998年、当時絶好調のパソコンメーカー、コンパックに買収された。DECの持つ64ビットのOS技術が目当てであったようです。マサチューセッツの事業所は、看板がコンパックに変わったが、働く集団としては以前のままでした。

テキサスの会社であったコンパックは、旧DECから見れば「組立もやる販売会社」といった性格であり、全くカルチャーが合わない。コンパックの本社からあれこれ要求してきても、プライドの高いDEC事業所の社員は事実上無視し、無視してもコア技術に弱いコンパック本社は気が付かなかったよ、とMr.Aは言います。カルチャーが違ったのです。

しかしそのコンパックも、寄せ集め的な買収の混乱、ライバルのデルとの競争での劣後、インターネットバブル崩壊もあって凋落し、2002年にヒューレット・パッカード(HP)に買収されます。マサチューセッツの事業所は、今度はHPに看板が変わりました。

HPはスタンフォード出身のヒューレットとパッカードが起こしたカリフォルニアの名門ハイテク企業で、一面においてDECと似た技術主導の会社でしたが、当時はすでに、DECと比べても管理部門が大きく、しかもコンパックより技術もわかるので、マサチューセッツのDEC社員は、支配企業として圧迫感を感じたと言います。

そのHPがDEC事業所が導入させたのが、いわゆる「アジャイル開発」です。チームでスクラムを組んで、2週間単位でリリースできるコンパクトな仕事を次々にこなしていくイメージで、日本に多いチーム開発に一見似ていますが、実際にHP本社が要求したのは、顧客用件そのものをはじめから2週間単位に切り分けて各人に配って厳しくスケジュール管理をするというもので、チームワークという実感はなく、むしろ個人別の時間管理の強化だとMr.Aには映ったようです。大きなコンセプトを共有してチームでサッカー式に開発する日本の自動車企業の開発とは似て非なるものなのでしょう。

オープンに何を言ってもよいというDECカルチャーに長くいたMr.Aは、このやり方に満足せず、自らもっと良いと考える新しい開発プロセスを会社に提案したが、それがよくなかったかな、と彼は言う。技術も管理も強いHPでは、本社の要求に異を唱えるは、やってはいけないことだった。かくして2017年某日、Mr.Aはレイオフ対象者の一人として解雇されたのです。

この一人のDEC社員の人生を見ても、米国のハイテク企業・産業の移り変わりはずいぶん分かります。幸いMr.Aは個人的にやりたいことが沢山あり、時間が出来たのでしばらく庭の改造に集中しようと、元気である。そういうのを日本では充電期間と言うよ、と言って私はバーベキューのお礼を言ってアパートに戻ったのでした。

 

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