ROIC・事業ポートフォリオのための
事業部門の資本コスト(WACC)の算出方法

2023年3月に東証から「資本コストや株価を意識した経営」についての要請が出たことを受けて、ROIC等の資本生産性を表す指標の導入や事業ポートフォリオマネジメントの導入の検討が進んでおり、当社にもお問合せの連絡を多数いただいております。

今回は、ROIC導入と事業別マネジメントにおける最後の難関である、事業別やセグメント別の資本コスト(WACC)の算出についてご紹介したいと思います。
事業別資本コストの算出はアカデミックでは手法が確立されていますが、実務書やインターネット上ではあまり情報がないテーマです。ご参考になりましたら幸いです。

事業部別ROICの比較・目標設定

ROICの活用目的や算出単位PL/BSの計算式の検討が終わり、実際にROICの仮試算に進んだ際の課題としてよく聞かれる悩みに「事業別資本コスト」の算出があります。各事業部のROICを算出した結果、ここ数年は事業Aが高いROIC、事業Bが低いROICだったとしてもこれがあるべき水準なのか判断ができないという悩みです。
各事業のROICを比較するには、ROIC単体ではなくROIC-WACCスプレッドという差額で比較する必要があります。

【図1】ROIC-WACCスプレッドの説明

このROIC-WACCスプレッドは、投下資本あたりの資本収益性を表すROICから、投下資本がかかるコストを除いた値で企業価値の源泉を表します。
お金を集めて事業を行った場合、“元手を使って稼いだお金”から“元手にかかるコスト”を除き、手元に残ったお金が企業価値というのは直観的にも理解できると思います。

即ち、いくら高いROICを稼いでいる事業でも、ROIC-WACCスプレッドがマイナスであれば、自社の企業価値を毀損している事業であり早急な対処が必要になります。

事業別資本コスト算出が必要となるケース

一般的に上場企業の資本コストを算出する場合は、自社の株価変動を用いて資本コストを算出しますが、これは自社の複数事業の合算値(加重平均値)のため、各事業に適用できるかを検討する必要があります。

【図2】事業別資本コストの適用パターン

例えば、②で自社の資本コストを基準に海外事業は+2%加算、A事業は+1%加算、B事業は-1%減算といった修正を加えて役員・各事業部長の納得感が得られるのであれば、わざわざ複雑な分析を用いる必要性はありません。

また、鉄道とデパート、家電と金融のように自社の持つ事業の特性が大きく違うため、自社の資本コストを基準に考えることが難しい場合③の案を採用することになります。

事業別資本コストの算出方法

事業の資本コストを推定しようとしたときの手段として、まず思いつくのは算定対象の事業が所属する業界の資本コストや、事業と競合している企業を集めて資本コストを求めることです。業界の資本コストは、複数の金融情報サービスから簡単に手に入れることができます。

しかし、類似企業・競合企業の中で単一の事業を行っていることは珍しいため、業界の資本コストの値には、各社の保有するその他の事業リスクの影響が業界・競合の資本コストに入り込んでいます。業界の資本コストは、所属している業界と比べて自社の資本コストの水準を認識するのには適していますが、事業の資本コスト算出に用いるのは十分ではありません。

この業界や競合企業を集めた際に、サンプル企業の中に全く関係のない事業リスクが入ってしまう問題に関して、2つの対処方法が確立されています。

1.ピュアプレイによる事業別資本コストの算出方法

1つ目は、「ピュアプレイ」と呼ばれる単一事業だけを行う企業だけを集めて、その事業の資本コストを算出する方法です。特定の業界に属する企業や競合を集めた後に、複数事業を行っている企業を除外して資本コストを算出します。これによりサンプル内における他事業の影響がなくなり、純粋に算定対象の事業部の資本コストを算出することができます。

例えば、下図のように自動車業界に属する7社の企業があったとすると、2輪自動車や航空宇宙の事業を行っている3社を除いて自動車事業の資本コストを算出します。

【図3】ピュアプレイによる自動車事業の資本コスト算出例

この手法は非常にわかりやすく、経営者や事業部長・現場への説明がしやすいという特徴を持ちます。
一方で実務に適用しようとした場合、ほとんどの業界ではピュアプレイの企業は少なくサンプル数が大きく減ってしまいます。そのため例えば、最終的に出した資本コストに対して「主要な競合だと思っていたF社が消えてしまっていいのか?」「サンプルとして偏っていないか?」といった懸念をよく聞きます。

従って、サンプル数を減らすことなく統計的な手法によりサンプル企業内の他事業の影響を調整する下記2つ目の手法を推奨しています。

2.統計手法(重回帰アプローチ)による事業別資本コストの算出方法

2つ目は、重回帰アプローチと呼ばれる方法で、サンプル企業内の別事業の影響を統計的に処理する方法です。資本コストを被説明変数、各企業の保有する事業の比率を説明変数にして重回帰分析を行うことで、他事業の影響を除いた特定の事業の資本コストを算出することができます。

例えば、A社、B社、C社の3社が存在し、それぞれハイリスクな事業①とローリスクな事業②の2つの事業を営んでいるとします。事業①はハイリスクなため、事業①の比率と資本コストの2軸でプロットをすると、事業①比率が上がるにつれて資本コストが右肩上がりで上昇することになります。

ここで求めたい値は、重回帰分析によりハイリスクな事業①の資本コストが100%だった場合の値を算出しますので、右上の5%となります。

【図4】重回帰アプローチによる事業①の資本コスト算出例

今回の例では、2つの事業を持つ事例を単回帰により算出しましたが、サンプル企業内に3つ以上の事業が存在する場合にも統計的に算出が可能です。

事業別資本コストの算出後の調整の論点

ここまで、事業別資本コストの算出方法をご紹介しました。
その他、実際の算出にいたっては企業別の負債比率の違いによるリスクの調整や、自社の全体の資本コストと事業部別の資本コストの値の整合性の調整が必要となります。

負債比率による調整はレバード・アンレバードといった処理をβ(ベータ)に加えることになりますが、一長一短あることからも著しく負債比率の異なるサンプルがある場合に限った方が良いと言えます。
また、事業別の資本コストは類似企業から算出しているため、事業の資本コストの加重平均値が自社の資本コストと合わないといったことも起きる可能性がありこれについても調整が必要です。

レイヤーズでは、事業別の資本コスト算出のためのデータを用いて、日本企業での500を超える事業分類で資本コストの算出が可能となっております。算出のご依頼や算出時のご相談など、お力になれることがあれば是非お問い合わせください。

【参考文献】
三浦克人 (2009) 事業部資本コストの計算と適用に関する一考察、愛知淑徳大学ビジネス学部 商経論叢 (60), 47-65, 2009-10

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この記事の執筆者

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